そもそも「整体」というのはどのように生まれたのか。
今回は整体の歴史を遡ってより「整体」について知っていきたいと思います。
整体(せいたい)とは
今の日本における「整体」というのは非常に曖昧で、様々な理論・流派があり諸説あります。
現在の日本の「整体」の歴史を紐解くと、伝統中国医学の手技療法である「推拿(すいな)」、戦国時代に体系化された柔術をはじめとする古武術の中で 「活法・骨法」 として受け継がれてきた手技療法や「霊術」のようにオカルティックなもの、大正時代に日本に伝わった「オステオパシー」や「カイロプラクティック」、「スポンディロセラピー」などの欧米伝来のアカデミックな手技療法と、当時の施術家たち独自の工夫や思想などを加え、集大成としたものが現在 の「整体」 と呼ばれるものだと考えています。
現在、俗に用いられる意味では、カイロプラクティック(脊椎指圧療法)に似た骨格の矯正(主に脊椎)を目的とした手技療法を指して使われることが多いです。
整体の歴史的経緯

整体の歴史は古く、その起源は2000年以上前の中国だという説があり、古代中国で行われていた推拿(すいな)と呼ばれる手技が整体の源流となっていると言われています。隋・唐の時代(589〜907年)に日本にその技術が伝わり、各流派で独自の発展を遂げたのが日本の整体だと考えられています。
推拿とは、体の外側(筋肉や骨格、皮膚や毛、脂肪)に手技によってアプローチをすることで、体の内側にある五臓六腑(臓器や脳など)の働きの不調を整えることができます。つまり、体の内側から起こる内科疾患やその他の様々な症状に対して、体の外側からのアプローチによって改善させることができるのです。
そのため、推拿は、漢方や鍼灸と並ぶ中国三大医学の一つと言われ、中国では今でも病院内に推拿科が設置されているほど一般的な療法でもあります。
日本の整体

大正期には「山田式整体術講習録」の山田信一氏によって、アメリカのオステオパシーが日本に紹介されましたが、山田氏はオステオパシーと他の療術を組み合わせたものを「整体術」として紹介したため、オステオパシーそのものではなく「山田式整体術」などの名で日本で普及・発展したと言われています。
その後にカイロプラクティックやスポンディロセラピーといった脊椎に働きかける手技療法が導入され、大正期はオステオパシーもしくはカイロプラクティックが「整体」と訳されていたようです。
大正〜昭和期には本当にさまざまな手技療法があり、特に戦後は現在でも有名な「野口整体」の野口晴哉氏、「操体法」の橋本敬三氏がいて、これらは今の整体の源流の一つとも言われています。
欧米伝来の手技療法

カイロプラクティック
カナダ生まれの米国人、D.D.パーマー氏(ダニエル・デービッド・パーマー)によって1895年(明治28年)に創始された脊椎徒手療法です。
カイロプラティックの語源はギリシャ語のchiro(カイロ:手)とpractic (プラクティック:技術)の二語からなる造語で、カイロプラクティックの目的は「神経の働きを改善すること」にあります。
パーマー氏が設立したアイオワ州ダベンポートにあるパーマー・スクール・オブ・カイロプラクティックを卒業した河口三郎氏により、1916年(大正5年)に日本へ伝えられました。
カイロプラクティックの施術法は、背骨を中心とする骨格のゆがみを手技でアジャストメント(調整)することにより、神経の働きを高め、身体の働きと姿勢を改善へと促します。病気を扱う西洋医学ではないため、カイロプラクティックでは自然治癒力向上によって心身の回復を図ることを主としています。
オステオパシー
1874年にA.T.スティル氏(アンドリュー・テイラー・スティル)というアメリカ人によって創始された医学体系であり、手技療法です。
オステオパシー(Osteopathy)の語源は、ギリシャ語のosteon(オステオン:「骨」を意味する)とpathos(パソス:「病・療法」を意味する)という2つの言葉から作られた造語です。英語訳で「骨の性質を利用した施術法」や「整骨療法」と訳す事が出来ますが、osteon(オステオン)は「骨」に加えて「生命体の構造」という意味を持ち、A・T スティルが言った「生命体の構造」とは、全身の器官(骨だけではなく、筋肉、内臓、神経、血管、リンパなど)と、また全ての器官を一つに繋げる筋膜(Fascia)の事であると考えられています。
オステオパシーとは以下の4つの原則と共に、手技により人間が本来持つ自然治癒力を高める手技療法になります。
- 身体は一つのユニットである。
一人の人間とは、身体、心、及び精神の単位である。 - 構造と機能は相互に関係している。
- 身体は自己調節、自己治癒、健康維持能力を備えている。
- オステオパシーの合理的な治療には以上3つの原則に基づいて行われる。
オステオパシーが日本に入ってきたのは、明治の終わり(1910年前後)と言われています。(1920年に発行された「山田式整体術講義録」という書籍で、オステオパシーの名前が初めて書籍の中で紹介されました。)
スポンディロセラピー
1910年にアメリカの医師アルバート・エブラム氏により創始された手技療法です。
スポンディロセラピーSpondylo therapyの語源はSpondylo(スポンディロ:脊髄) therapy(セラピー:療法)のことで、脊髄の反射を利用した徒手医学になります。
スポンディロセラピーの目的は、冷却や器具による叩打など、体表からの刺激により脊髄神経に反射を起こし、内臓器官の働きをコントロールすることになります。
日本においては1917年に兒玉林平氏により脊髄反射的療法として紹介され、整体、指圧、身体均整法などにその理論が取り入れられています。
しかしながら、現在では“失われた療法”と言われています。